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第82号 2006.9 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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最新刊!!
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| 言葉よりも感情に気づく 石原加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 感情を抑えていると、相手の感情よりも、相手の言葉を鵜呑みにしやすくなる。 感情が開いていれば、相手の言葉を、心で感じることができる。 意志をもっていれば、相手の話に耳を傾けることができる。 Aさんが「あなたが、大嫌い」と言った。 文字通りに解釈するなら、 「Aさんは、私を嫌いなんだ」 ところが“別の私”は、 「Aさんは、私を好きなんだ」 と解釈した。 “前者の私”は、Aさんの「言葉」のほうを信じた。 “後者の私”は、相手がどんな気持ちでその言葉を遣っているかを、相手の態度や声のトーン、口調、表情といったものをすべてを「自分の心と感覚で感じた」。 ともすれば、我々は、相手の感情を無視して、「相手の言葉」にかかわっていきがちである。 家庭で子供が、「やればいいんだろう」と答えた。 あるいは職場で、部下が「やりますよ」と答えた。 しかし、なかなかやらない。 「やるって、言ったじゃないか」 などと責めても、相手は動かない。 当然のことである。 「私と相手」の関係でいえば、その「やればいいんだろう。やりますよ」の中に、自分に対する「無意識」の思いが込められている。 それは愛情の欲求だったり、腹を立てていたり、不満を抱いていたり、仕返しだったりと、その言葉の中に、さまざまな感情がひしめきあっている。 「こんなに口うるさい親は、もううんざりだ」 「こんな奴の下では働きたくない」 どんなに「やるよ」と答えても、そんな不満を抱いていれば、無意識に、トラブルを起こして“仕返し”をはかったりする。 もとより、本当は、相手の問題よりも、自分の問題なのかも知れない。 自分自身が、「お前なんか信用しないぞ」という意識で見ているのが、相手に伝わっているのかも知れない。 相手の「何を言ったか」よりも、どんな態度や表情で、どんな言い方をしたか。 この相手が、「どんな態度や表情で、どんな言い方をしたか」。 それを「私がどう感じているか」。 ここが重要なポイントである。 それ「私が感じる」ことができれば、「どうして、しないんだ」と責めるよりも、どんな問題があるのかに、気づくなのではなかろうか。 もし、そこで、お互いが感情的になってしまう理由があるとしたら、それを「私と相手の問題」として、時間をとって話しあう必要が出てくるだろう。 相手がどんなところに不満が悩みがあって、感情的になってしまうのか。 じっくりと具体的に話し合う。 むしろ、こんな時間そのものが「貴重である」と思う。 |
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| 超感覚 石原加受子 |
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| ユング派に、「内臓感覚」や、ディクマンの「超感覚知覚」という言葉を発見して、うれしくなった 内臓感覚というのは、相手の臓器の感覚を「私感じる」ことであり、「超感覚知覚」というのは、相手の意識や心や身体の反応の状態を「私自身が感じる」ことであると解釈した。 実は私が長年、この感覚に悩まされて続けてきたからだった。 それは相手が発してるエネルギーがあって、それを私がキャッチするからなのか。それとも、部分的に私の身体と相手の身体が重なるために、私が相手の意識を感じるのか。 赤ちゃんは、母親のそんな感情や感覚をほぼ正確にキャッチしている、というより、「母親と同調しているようだ」ということが、実証もされているらしい。 この感覚は、私が心理療法をしはじめたから育ったものではなく、多分、もともとそんな超感覚が備わっていたのだと思う。 (ただ、心理療法をやりはじめたために、いっそう、その感覚力が発達し、いやおうなしにも、それを認識せざるを得なくなった。) マイナスのエネルギーに晒されると、とにかく「つらい」。 相手の意識と私の意識とに差があればあるほど、「自分が苦しむ」ことになる。 霊的世界でいえば、憑依されたとでも言うのだろうか。 過去に存在した人に意識を合わることも可能で、その人の意識のありようを感じるから、まったくの的外れともいえないのだろう。 相手が幸せを実感していれば、それだけで幸せ気分に満たされるので、得な面もあるが、相手がつらければ、私の身体がそれに同調して、私自身も非常につらくなる。 それを解決するため、どうしたらいいか。 それが「自分中心心理学」の始まりだった。 「相手を感じる」ことができれば、相手のことを考えなくても、自分の身体や自分の状態を見るだけで、相手のことがわかる。 「なんだ、自分を見て、その感覚を大事にするだけでいいのか」 相手のことを憶測しなくでもいい、もっと正確に相手のことがわかる。 「おっ、自分を基準にしているだけでいいんだったら、シンプルで、楽じゃないか・・・」 そう、シンプルなものを、わざわざ複雑に考えることはない。 ただ、問題があった。 「相手の感覚」を自分が感じるということは、相手が苦しいときは、自分自身も苦しくなる。 「内臓感覚」に敏感であれば、相手が健康であればいいが、肉体的に重篤な場合は、自分にもその影響が出てくるということも起こる。 事実、相手の心臓の鼓動が早くなれば、自分自身もそうなる。 内臓だけでなく、脳が同調し、反応するからたまらない。 まるで、精神的病気も肉体的病気も伝染する? 「伝染したままになったら、どうしよう・・・」 そんな不安を抱くこともあった。 どうしたら、それを感じないでいられるようにできるか。 拒否する、戦う、抵抗する・・・では疲れる。 受け入れる? 意志をもつ? 言葉ではわかる。 しかしそれは、どんな体感? どんな感覚? こんなふうに、「自分中心心理学」というのは、 「どういう意識でいれば、自分が楽でいられるのだろうか」 と、心理療法をやっていく上で、私自身が実際問題として直面していたことである。 実は、これは、誰でもが持っている能力である。 「自分中心」になっていないから、気づいてないだけである。 ぜひ、試してほしい。 自分としては心当たりがないのに、誰かがそばにいると、 頭が痛くなる。 関節が痛くなる。 肩が急に重くなる。 だるくなる。眠たくなる。 動悸がしてくる。 胃が痛くなる。 脳のあちこちが反応する。 というふうに、相手の肉体の状態を“私”が感じる。 いきなり不安になる。 急に哀しくなる。 なぜか腹が立ってくる。 めまいがしはじめる。 幸せ気分になる。 なぜか温かい気持ちになる。 急に嬉しくなる。 急にハツラツとした気分になる。 目が覚める。 というふうに相手の感情や気分を“私”が感じる。こんな大ざっぱなエネルギーだけでなく、脳の状態や脳波や、もっと微細な意識も感じる。 相手のその奥に押し込められた感情や、過去の感情、あるいは予感というのだろうか、未来の感情や意識を感じることもある。 もっと磨けば、未来も感じる? (つづく) |
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| 私も相手のことがわかります Kさん |
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| 超感覚について書かれてあったので思わずメールをしてしまいました。 私は人の考えていることがなんとなくわかります。 「そんなコト言ってるけど、ほんとは・・・と思ってるでしょ」と普通に言ってしまいます。「そんなことないよ」と言っても結局私の思っていることが当っています。 優しく世話好きな感じのよさそうな人でも「計算した態度・邪悪な思い」が見えてしまうのです。あとで「あなたの言う通りの人だったよ」と、がっかりしながら教えてくれる人もいます。 相手のマイナスな気持ちや幸せな気持ちもかなり影響を受けやすいです。世間にはマイナスな人が多くてとても疲れます。夜にはで布団にくるまり一人になりたくて仕方がありません。 このしんどさを克服するためにも、先生の自分中心活動は私にとって必要だったんだな・・と今日のメルマガで感じたのでメールをさせて頂きました。 :主人が徹夜の仕事の後寝ずに仕事に行ったとき、なぜか私も徹夜明けのようにしんどくだるくなるのか、今日わかりました。 やはり人には波動のような物が出ていて影響しあってるんですかね?先生・そういう見えない世界のこと、先生からお聞きしたいです。でも、今はまだ無理ですね。 ところで質問です。やはり見えない影響は、自分を大切にしている人はバリアのようなものが出ていて受けないようになるのはないですか? それが悟りというものではないですか? これはメルマガでは回答しにくいかと思いますが、いつか必ずなんらかの形で回答があると思っています。 不思議なメッセージは目覚めのときに入ってくるんですよ? それでは長々とすみませんでした・・ありがとうございました。 |
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| 片付けるのが面倒 Rさん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「なかなか家の片付けができません。しなければならないと分かっているんですが、いざ、始めようとしても、つい面倒くさくなって、“今日はいいや”となってしまいます」 という相談をもらった。 例えば部屋の片付けを「全部きれいに掃除しなければならない」というところに焦点を当てると、「本腰をいれなければ」と思うので、つい、億劫になってしまうだろう。 こんなときは、掃除の回数を大幅に減らすというのも、ひとつの方法である。 あるいは、「嫌になったらやめる」というレッスンをするのもいい。 きれいに完璧にしなけれ、気分がすっきりしないという人もいるだろう。 しかし、これは、「100かゼロ」発想になりやすい。まさに「する」か「しないか」である。こんな発想をすると、つい、するのが面倒になってくる。 それよりも「中途半端でも終わらせられる」意識をもっていたい。 中途半端で終わらせるというよりは、“自分の感情を基準に”して「疲れたら休憩する」というほうに焦点を向けるということである。 要するに、焦点をどこに置くかの違いである。 中途半端にやめることができれば、途中から、それを始めることができる。これは、継続性を育てるために必要だ。 |
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| ある日学校で七十六 宮崎 久実子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ※今回は過労でダウンしたため、「ある日学校で」は休載します。 以下の記事は、前回の記事と同じです。 七五号で高圧的な先生の話をした。 いつも専制君主のような先生に支配されていると、物静かな先生の前ではどのような態度をとるようになるであろうか。 『ざわざわして言うことを聞かない』『反抗的な態度に出る』 様々な反動が出てくる。結果的には恐い人がいなければ言うことを聞かない子供ができる。ではどのようにしたらこちらの話を生徒が気持ちよく聞いてくれるようになるのだろうか。 前回の中で、一方的に話してばかりで生徒の話を聞いてくれない教員の話をしたが、五分間、生徒の話に耳を傾けて見ると次第に自分のことを話し出すものだ。 「黙って話を聞いているとなめられてしまう」 という恐れから、自分の方からまくし立ててしまう教員が多いのかもしれない。 しかし、そんな相手に心を開くわけは無い。相手の心を開くためには、まず自分の方から心を開く必要があると痛感する。 相手が本当は、何を訴えようとしているのか。相手が正しいか間違っているかではなく、相手が何を訴えたいのかを理解してあげようとすることが大切なのではないだろうか。 相手と話をしたければ、信頼関係を結ぶことが先である。 |
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