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第77号 2005.11 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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石原加受子著 最新刊!
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| 目次 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| お金を貸して 石原 加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「例えば」の話です。 あなたの親しい人が、お金を貸してくれと言ってきました。その額は、あなたにとって、大金です。 こんなとき、あなたはどうしますか。 ・即座に断ることができる。 ・相手が望む額を貸す。 ・相手が望む額の何割かを貸す。 もしお金を貸したとしたら、どうします。 ・ちゃんと返済するよう請求していく。 ・最初から、あげるつもりで貸している。 ・最初から、あげるつもりでいるが、請求はする。 ・返済してもらいたいが、強く請求することはできない。 どんな対処の仕方が望ましいのか。 親しい人にお金を「貸す、貸さない」で悩むのは、相手が本当に困っている(と感じた)とき、貸す側としては、 「貸してもつらい。貸さなくても胸が痛む」 というふうに、どっちに転んでも、釈然としない点である。 こんなとき、お金を貸すかどうかは少し脇に置いて・・・、 大金を人から借りて、何とか苦境を脱出しようとする人たちの共通の意識として「自分の大きな問題に直面するのを恐れている」というのがある。 例えば、親と絶縁している。 家族と仲たがいして、家によりつかない。 親と争っていて意地を張り、「助けてほしい」と言うことができない。 こんな頑固や意固地さがあったりする。 そのために、切羽詰まった思いで、一人があがく。 切羽詰まった思いで、改善策など思いつくわけがない。 逆の言い方をすれば、こんな頑固さや意固地さあるために、やることなすことが空回りして、借金を抱えてしまうことになる、ともいえる。 結論を言うと、親しい人があなたに借金を頼んできたときは、その人がいま「最も直視するのを避けている問題」を解決できるようにアドバイスすることである。 例えば、その人が親と和解できるように働きかける。 もしその人が、 「親と和解しよう。頭を下げよう」 という謙虚な気持ちなることができれば、「意識の法則」によって、不思議に思うかも知れないが、希望の光が見えてくる。 (なぜそうなるかの説明もまた時間がかかるので、省略させていただきます。) 借金を申し込まれたあなたとしては、こちらのほうが根本的な解決になるし、もしお金を貸さないとしても、人を見捨てたという「良心の傷み?」(こだわり)を軽くすることができる。 |
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| 愛ですね 西岡利晃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 最近感じることですが、人間関係は恋愛ですね。 親子、友人、会社、すべての人間関係の基本は恋愛ではないか! と感じます。 お金の関係も、仕事の関係も、恋愛を基準にすれば解ける。説ける。 しかも、対等の、自分中心の関係です。 ということは、人間(社会)の仕組みは、愛によって成り立っているということですね。 恋愛は対等でありたいと思います。 対等の恋愛を基準にすれば、すべての人間関係に当てはめることができる。 |
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| もっと自分中心に 石原 加受子 |
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| 自分が主張した後、あなたはつい、強めに言ってしまって、相手を怒らせてしまった。「ああ、やっぱり怒らせてしまった。やっぱり、主張しないで、我慢していればよかったんだ」 と後悔する。 後悔すると、次からは、主張するのをやめようとするだろう。けれども、そんな気持ちになるのは、あなたが主張できたからである。 主張した直後、相手の反応をみると、「やっぱり、言わなければ良かった」になる。これは「他者中心」の発想である。 主張したとき、自分を見れば、仮に言い方が多少きつかったとしても、あるいは相手が腹を立てているとしても、「意外とすっきりしている」自分を発見するだろう。 自分を自覚して言えば、言った瞬間、満足を感じているはずである。 ところが、他者中心の人は、自分を「感じる」間もなく、人の反応のほうに意識が向かう。だから、自分を大事にして主張できた満足感を味わうことがない。そして後悔して、我慢しようとする。 ところがその結果、いっそう感情を溜めて、「第二の感情」で、相手をコテンパンにやっつけてしまうということなりがちである。 どっちが適切かは、言うまでもないだろう。 もっとも、主張するときは、できるだけ「第一の感情」で表現することが大切である。第一の感情で表現できれば、相手の反応が違ってくる。 仮に相手が怒ったとしても、それは、条件反射的に反応しているだけだと思おう。 相手が条件反射的に怒ったとしても、あなたが第一の感情で言った言葉は、後で、相手の心にじわじわと効いてくる。 だから頑固な相手は、「ごめんな」と言わなかったとしても、行動が微妙に優しくなったりする。 第一の感情で言う努力をした後は、こんなところも観察してほしいものである。 |
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| パスタの一言 市村 英彦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ある日の午後、お腹が空いたのでふらふらとキッチンに行った。 いろいろと物色して出てきたものは、カップラーメンとインスタントラーメンそれにパスタ。カップラーメンとインスタントラーメンは、物足りなく思えたのでやめた。パスタは、ロングとショートがあった。 そうだ!ショートパスタにしょう。まずはケトルを火にかけ、フライパンにパスタを120グラムぐらいそのままザッザーッと入れて、ケトルのお湯が沸くのを待つ。パスタを盛る皿と調味料を用意することにしよう。調味料は塩、ケチャップ、バジルソース、オリーブオイルを用意する。お湯が沸いたら、パスタがヒタヒタより気持ち多いぐらいになるようにお湯を入れて強火にし、塩ひとつまみ、オリーブオイルをひと回し入れてゆっくりと混ぜる。 あとは、たまに混ぜてやればいいだけなので、おいしくで きることを願いながらゆっくり混ぜる。お湯が半分ぐらいになったら、ケチャップを大さじ一杯入れて混ぜる。さらにお湯がフライパンの底に残るぐらいになったら、バジルソースを大さじ二杯ぐらい入れ弱火にしてよくなじませる。味を見るときに、パスタの固さも見る。固い場合は、少しお湯を足して好みの固さに調整して出来上がり。 特に具を入れなくても、とろみのあるソースがパスタによく絡んでおいしい。ケチャップの甘味と酸味、バジルの香りがよくあって、また作って食べたいと思うぐらい、おいしくできてお腹も膨れ満足、満足。 お湯を多めに入れて作れば、とろみのあるおいしいスープパスタも出来るだろう。 パスタをおいしく作ろうとは、考えていなかった。単にフライパン一つでしかも、少ないお湯で芯が残らず、茹で汁を捨てることなく出来るのかを、試してみたいと思い作り始めたのだ。失敗することは考えなかったが、ちょっと面倒には思っていた。作り始めるとパスタがどんな感じになるのかが気になりだし、ドキドキして楽しくなってきた。普段は、パスタをたっぷりのお湯で茹でサーッとお湯を切ったあと、ソースや具材と絡めたりして調理していた。パスタはある程度お湯を切らないと、味をつけていく時にスープが多くなってソースが絡みにくかったり、スープを吸いすぎて粘りが出て見た目も食べた感触もうどんのようになる。 しかし、今回は違います。茹で汁は捨てることなくそのままソースになり、パスタによく絡み味も染みていた。フライパンで茹でなから味をつけ ていくことで味よし、見た目よし、手間もなしのおいしパスタが出来たのだ。 今日は、いつもとは違う自分がいるようだ。周りが色鮮やかに見えて、自分自身のからだも軽い。こんな作り方でも出来るのか不安に思いながら作り始めたが、いつのまにかドキドキするようなワクワクするような感じがして、楽しく作ることが出来た。何かを発見した時のような驚きはなく、面白いものを見つけた時のような胸のときめきがあった。子供が一人で遊んでいる時のように、やってみたいアイディアがドンドン湧いてくることを楽しみながら、いま実際にしていることを黙々と楽しんでいる。そんな子供に、自分がなったように思えた。どんなに些細な思いつきでもやってみると、こんなにも楽しむことが出来るなんて何だかうれしくなった。 自分が知らなかったことを知ってみたいと思い、好奇心をもって実際にやってみる。いろいろなことを感じて、そこからまた新たな好奇心と遊び心がふっふっと湧いてくる。なんでも知っているつもりになっていると、楽しいことが半減するように思えた。 自分の中にある常識を捨てなさいと、パスタに言われた気がします。 |
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| ある日学校で七十二 宮崎 久実子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 秋になって、急に悩みを訴える生徒が増えた。毎年ながら五月と九月になると、お決まりのように表れる。 長期休みの後、学校行事の後、周りに新しい友人ができたり、クラスの結束力が高まる中、「自分だけ、その中に入っていけないんです」という子が出てくる。 「みんな楽しそうにしていると、自分だけ取り残されたようでさみしい」 「みんながノリノリでやっているのに、自分だけ、そのテンポについていけない」 「はなしをするのが下手なので、グループの中にいても、みんなの迷惑になるような気がして」 「私も輪の中に入りたいんです」 という割りには、様子を見ているとポツンとしていたり、つまらなさそうな顔をして、座っていたりする。 「自分も他の人の輪の中に入って行きたいと思う時、どんな努力をしているの」 「話題を合わせようとしたり、なるべく一緒にお弁当を食べるようにするんですけど、皆からはずされていくんです」 「今あなたは、つまらなさそうな顔をして入るように見えたけど」 「え、私、どんな顔していいかわからなくて、困っていたんです」 自分が思っていることが、他人に、きちんと伝わっていない事はないだろうか。 |
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