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第75号 2005.7 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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石原加受子著 最新刊!
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| 目次 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| なぜ『怒り』があるか 石原 加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| [実は、毎回いつも質問したかったけど、なぜか忘れてしまう質問事項がありました。それは、「なぜ『神』という存在は人間に『怒り』という感情を与えたのか」と、いうことです。この怒りさえなければ人間は平和に悩みさえ浮かばない生き生きとした生活を送れるのにと思うのです。(Tさん)] 怒りを痛みに譬えると、こう言える。痛みがなければ、患部がわからない。 あるいは、痛みが走るのは、その患部を治癒させようとして、身体の修復機能が働いているからである。 これと同じで、怒りがなければ、生き方の、どこが間違っているのか、わからない。何かに傷ついていても、その傷みがなければ、それに気づかない。そのために、自分を大事にしようにも、大事にする方法が見えてこない。 このように、怒りの中には「自分を大事にするためのエッセンス」がある。 もともと、怒りも恨みも愛の変形である。怒りの中に愛があるかというと、「ある」。恨みの中にもある。それを否定するというのは、愛を否定することになる。 怒りという感情も、あらゆるマイナス感情も、でどころは大元のエネルギーから出ている。この大元のエネルギーは、愛のエネルギーと言いかえてもいいし、万物を創造するための原材料という言い方もできる。 マイナス感情もプラス感情も、相対的なものである。 例えば、限りなく赤に近い赤に、白が混じって、次第にピンクから限りなく白に近くなっていったとき、どこからどこまでを赤と呼び、どこからどこまでをピンクと呼び、どこからどこまでを白と呼ぶか。 限りなく白に近い白の中にも、赤は混じっている。 その赤を永遠に消滅させてしまえば、ピンクもないことになる。 赤を怒りとしてピンクを愛とすれば、どこまでが怒りで、どこからが愛と呼べるか。 赤の中にも愛はあり、ピンクの中にも怒りはある。 それに、光の三原色は、3色を交ぜれば透明になる。透明であっても、その中に3原色がある。 その透明の中に、光のごとく、すべての色が存在するのである。 これと同じで、怒りがなければ、愛もないのである。 |
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| 気持ちを大切に 市村 英彦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 潮風が恋しくなって、妻と二人で久しぶりに横浜に遊びに行ってきた。育った土地から離れると、たまに恋しくなってしまうのだ。 前日の夜から、横浜に行きたいという気持ちがふっふっと湧いていたていたが、妻には言わないまま朝を迎えた。起きた時は少し雲が出ていたので、天気予 報を確認した。海岸沿いは、一日厚い雲に覆われると聞き、身体が急に重く感じた。 窓の外に目をやると何となく暗く見えて頭の中では『横浜に行ってもつま らないかもしれない』『行きたいけど、やめようかな』と呟き、身体が沈んでいくようだった。どうしようか迷いながら妻に『行きたい』という返事が欲しい と願いながら「横浜に行ってみない?」と聞いてみた。妻は一言「横浜?いいよ行こうよ」と言ってくれた。 ほっとしたと同時に迷ったり、自信がない時は人に後押しをしてもらいたくなる。そんな自分が、ちょとずるいように思ったが、そんな自分もいいのかなと 思った。 妻が楽しそうに「おにぎりを握ってもっていこう」と言いながら準備をはじめた。 そんな妻を見て、私はピクニックに行くみたいでワクワクしていた。あんなに身体が重かったことを思うと、自分は結構単純で素直なのか。簡単にころころ変 わる自分がうれしかった。以前は気持ちを引きずって、ふてくされることが多かったから特にうれしかった。 家から横浜までは片道約二時間、ちょっとした小旅行気分だ。横浜に着くと、天気予報に反して晴天だ。今まで予報は絶対と思っていたが、予報はあくまで も予報だなと思った。 横浜駅からみなとみらい地区へ向かう足取りは軽く、気持ちいい海からの風と海の香りと青い空。帰ってきたという気持ちと、懐かしいような新鮮な気持ち になった。 インターコンチネンタルホテルの脇にある公園で、海を観ながらおにぎりをほおばり、デパートで買った手羽先の唐揚げにかぶりつき、ほうばりながら二人 して来てよかったと、目でお互い合図しあった。いつもより甘く感じたお米と香ばしい海苔の香りを味わった。この後、目の前を行くシーバスや観光船、潮が満ちていく様子やキラキラと光りながら跳ねる魚を眺めながらのんびりと時間を過ごすことができた。 行きたいという気持ちがありながら、不安になって落ち込んだりといろいろあった。自分の気持ちのままに行動して、本当によかった。 一日楽しく過ごすことができて、うれしかった。諦めていたら、きっと後悔してイライラした一日になっていたと思う。 何かをやってみたいということがあっても、些細なことで気持ちがゆらぎ、諦めてしまうこともある。諦めかけていても、ほんの少し勇気を出して踏み出してみることが大切だ。自分が楽に充実した日々を過ごすことがでることを、大切に感じていきたい。 |
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| 声 茂木紀宏 |
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| ここ最近、職場で同僚やお客さんと話をする時、相手につられるように、浮ついた(気持ちよくない)声になっていたり、逆にTVでスポーツ選手が話すのを聞いて、 「こういう(お腹から出る)声なら気持ちいいだろうな」 と思ったり、無意識のうちに声について思うことが増えていた。 石原先生の最新刊『欠点を長所に変える話し方』の中に「短所を直すより長所を伸ばす」という言葉があった。 公私ともにいろいろ動いてはいても、必ずしも上手くはいっていなかった私にとって「長所は何だろう」と考えた時に、以前、先生から「声」について度々、誉められた事を思い出した。 お腹から出る気持ちの良い、落ち着いた声を使えば、 『異性には力強さ』を感じさせることができるし、 『職場には元気』をもたらすことができる。 エネルギーを開放することで、 『体には健康』を 『心には自信』を 作ることができる。 そう考えると お腹から出る声を習慣化することで、今、自分が望んでいるモノのほとんどが手に入る。 あるいは手に入りやすくなる。 ことに気づきました。 私は、声の達人になります。 |
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| 共時性 石原 加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 共時性という言葉を周知という前提で話をする。 オールイズワンでは、この共時性は自分で「創り出す。引き寄せている」という捉え方をしている。意識して引き寄せることもできる。 “意識して”というこの“意識”というのがまた微妙なのだが、それについては、また、別のテーマで話さなけばならなくなるので省く。 長く在籍している会員さんは、これを当たり前のこととして捉えているために、それを不思議とも何とも思わない。 良きにしろ悪しきにしろ、自分がそれにこだわっていると、それが起こる。 それを、「嫌いな数字」で実感したことがある。 時計や、車のナンバーや電車の車両など、あらゆるところで出う合う数字である。 1 嫌うと「嫌いな数字」が出やすくなる。それは、自分の意識そのものが、既に起こっているのを実感しながら恐れているからである。 2 諦めると、よけいに「嫌いな数字」でやすくなる。 それは、自分が抵抗しないで受け入れているからである。 3 「出してなるものか」と、戦う気持ちで抵抗すると、かなり少なくなる。けれども、疲れる。 気を抜くと、出やすくなる。 4 別のものをイメージすると、別の数字が出始める。つまり「嫌いな数字」で、でにくくなる。それは、「嫌いな数字」に関心が薄らいだからである。 ついでに宣伝させてもらうと、「欠点を長所に変える話し方」(PHP研究所)の中で、短所を治そうとするよりも、長所を伸ばしたほうがいい」という箇所があるが、それは、共時性においても同じであるようだ。 |
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| ある日学校で七十 宮崎 久実子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 学校が「とても怖いところ」になってしまったA君のことを話したいと思います。 A君はとても明るく勉強も出来、クラスの憧れの存在でした。修学旅行でもまとめ役をしていました。 旅先で、前々からいじめられっこであった生徒をグループの子たちがハブにしていました。度重なる嫌がらせについに腹に据えかねたAが止めに入ったのです。 Aは当然のようにクラスの子達が自分に加勢してくれるものと信じていました。ところが誰も自分についてくれなかったのです。見て見ぬふりです。 いじめっ子グループのボスの報復が怖かったのです。それからは自分がいじめの標的になったのです。いじめのつらさと自分を裏切った生徒たちへの不信感で苦しんだAはついに学校に行けなくなったのです。 それから何ヶ月も悶々とした日が続きました。 ある日学年も変わりクラスも変わったのでと、勇気を振り絞って学校に行きました。 小学校時代から見知った子もいて、今度こそと明るい気持ちになれました。何日かは何事もなく過ぎていきました。ところが、小学校時代のクラスメイトと話していた時にふと、話がかみ合わないことに気づいた のです。 『だめだ』と思った瞬間また怖くなってしまったのです。つづく |
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