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第74号 2005.5 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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新しい本
感情の処理の仕方、 活かし方をまとめた本 好き嫌いで生きていいんだ! 「願いがかなう人になるシンプルな方法」 大和出版 ☆自分の気持ちを無視しない。抑 えない。フタをしない。 感情を「コントロール」するより も、「解放しよう」。 感情を生かせば、自分の中に眠っている優れた潜在能力が目覚める。 (次の2冊は6月1日発売予定) 「自己解決能力を獲得する方法」 みずほ研究所 ☆仕事を成功させる目標達成法。 問題解決能力を育てる。 「欠点を長所に変える話し方」 PHP研究所 ☆仕事をもつ人必見。 マイナスをプラスに変える逆転法とその話し方を満載。 メルマガ無料配信中! 月3回 毎週水曜日発行 オールイズワンの「ホームページ」トップページから、登録できます。 簡単な問題やご質問を、マガジンページ内でお答えしています。 最新刊 好評発売中! 「願いがかなう人になるシンプルな方法」 大和出版 本書には、様々な工夫されています。 読むだけでーーーーー 「自分中心の感覚」が育ちます。 自分を観る作業が出来ます。 自分に立ち戻れます。 抑えていた感情を解放するのに役立ちます。 肯定的なエネルギーの流れをつくって、運をよくしていきます。 あなたの潜在能力を引き出します。 人は誰でも「感情を基準」にして生きている。相手とも、無意識のところで、感情を基準に反応し合っている。いくら思考で処理しようとしても、最終的には、感情を優先させる。 |
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| 6月25日の「好きな人に気持ちを伝えるワーク」 1時〜4時30分 自分たちの手でやりたい 寺脇匠 |
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| 「自分中心心理学をテーマにした新しい形のセミナーを、 自分達の手でやりたい!」 そんな声が誰からとも無く沸き起こり、今、オールイズワンに通う有志何人かが集まって、セミナー開催のための準備を始めています。 知識は、インプットとアウトプットの両方を行って初めて、自分のものになるといわれます。 僕達は今までに、石原先生が構築された理論や技術を、十二分に聞き、十二分に教わってきたつもりです。そして、蒔いた種が芽を出すような自然さで、アウトプットをしたい!という気持ちが芽吹き始めました。 いにしえの賢者はこう言います。「何かを手に入れたければ、それを誰かに与えなさい」 僕達は、もっと深く学びたいからこそ、今まで学んだ全てのことを誰かに伝えたい。伝えよう。これが、自分たちでセミナーをやろうと思った正直な気持ちです。 現在までに何度も打ち合わせを行い、内容に関する全員の確認作業を完了し、今は具体的な台本作りに入っています。 詳しい内容に関しては、現時点で申し上げることはできませんが、自信を持って言えることが一つあります。それは、今までになかった形のものになるということです。 唐突ですが…、 昔、小学校の先生にこんなことを言われました。 「人の気持ちがわかる優しい人になりなさい」 口で言うのは易しいけれど、じゃぁどうすれば他人の気持ちがわかるのか? どうすれば他人に共感できるのか? その方法は、その先生も教えてはくれなかった。 女性に関する本を100冊も読めば、女性の気持ちはある程度わかる…かもしれない。 でもそれは頭でわかるだけ。 気持ちは、頭でわかってもダメ。 気持ちでわからなければ。 じゃぁ、女性の気持ちを、気持ちでわかるようになるためにはどうすればいい? そんなの、女性になってみるしかないだろう。 頭で知るな、体験的に知れ、である。 もし、人生の中の1ヶ月だけ、魂が体をチェンジするように、 世界中の男女が入れ替わることになったとしたら、 この世界は一体どう変わると思う?良くなる?悪くなる? この、男女という言葉を、別の言葉、例えば、お金持ちと貧しい人とか、いじめる人といじめられる人とかに変えてみる。 そして同じ問いを投げかける。 「世界はどう変わる?良くなる?悪くなる?」 実は先日、自分が女性になったような感覚になり、女の人の内面ってこんな風なんだ!と、驚きとともに、すごいカルチャーショックを受けました。 その日は、セミナーの台本作りのためのロールプレイングを、メンバー同士で、立場や状況を色々変えて次から次へと、まるで1000本ノックをやるように、くたくたになるまでやっていました。 そうして、男女の立場を両方交互に演じつづけているうちに、あるときふと本当に女性の感覚に入っている自分に気付きました。 「そうか!これだ!」 優れた内容の台本があれば、例えロールプレイングでも、相手と体を入れ替えたかのように、体験的に相手を知ることができるんだ! こんな風に、内容作りの段階でも、新たな発見がたくさんあります。 そんな「発見した色々」もどんどんセミナーの中に生かしていくつもりです。 インドの聖者は言いました。 「砂糖の甘さは頭で考えてもわからない。ただ味わいなさい」 僕たちのセミナーも、ぜひぜひ味わってみて下さい。 もしかしたら、めちゃくちゃ甘くておいしいかも。 ☆☆☆☆☆ ちょっとここで 気付いたことなんですが。 他者中心というのは、他人の言動や他人の気持ち(自分の想像の中の)に意識の焦点が当たっている状態ですよね。 それに対して自分中心は、自分の気持ちに意識の焦点が当たっている状態ですよね。 例えば、多くの人の気持ちを体験的に知り、人に対する共感能力が高くなると、自分と相手の気持ちの境界がかぎりなくうすくなっていくと思うんですよ、多分。 そうすると、共感能力が高い人が自分中心になると、自分中心でありながら、他人の気持ちにも焦点が当たっている? そんな不思議な状態もありうるということになるのでしょうか? でもその状態って、他者中心とは、似て非なるものなんでしょうね。 それに、人は多くの立場を理解できるほどやさしくなれるとするなら、他人に共感できる自分中心というのは、かなり温かい自分中心になるんでしょうか。 (別に普通の自分中心が冷たいと言っているわけではありませんが…) (まさにそれが「自分中心」の感覚です。 「全であり個である」 個の部分が、肉体を越えて拡がっていきます。 「他人に共感」というより、相手が自分自身です。 つまり「自分=相手」であるということ。 もっと拡がっていけば、「自分=森羅万象」「自分=宇宙」。 そんな拡がりを、頭ではなく、経験として、実感として、感覚として感じることができるでしょうね。) 石原・記 |
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| 「花粉症」とその意識 石原 加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 最近、社会意識として、「他者は自分を攻撃し傷つけ脅かす存在」とみなす“敵”意識や危機意識が顕著になってきている。 現実的には、日本社会が日常生活で、生命維持の脅威に晒されることは滅多にない。一言でいうとそれは、過剰な競争社会が生み出した歪みの結果ではなかろうか。 しかもそれは、電子機器が氾濫している日本社会特有の、まさに、頭の中で創り出しているバーチャル的な世界での「生命の危機」意識だと言える。 否定的意識が恒常的になると、自律神経の、とりわけ交感神経が刺激され続ける。過度の身体的緊張や、感情面での怒りや恐怖があると、交感神経が恒常的に興奮し続ける。このため、交感神経が支配する副腎からはアドレナリン、交感神経からはノルアドレナリンが多量に放出される。アドレナリンは、血小板を刺激して、血液の粘着、凝固、凝集を促進させる。ノルアドレナリンは、血管を収縮させ、血流を乱し、Aのように血圧上昇を促す。また、これら交感神経刺激物質は、Bの糖尿病のように、血糖値上昇にも関与しているという。 さらには、白血球が自律神経の支配を受けていると唱える学者もいる。白血球には2種類ある。細菌を貪食する顆粒球、免疫を司るリンパ球である。交感神経が緊張状態のときは顆粒球が増え、多量に発生する活性酸素が、組織破壊を起こすというのである。 他方、副交感神経は免疫系を司るリンパ球を支配していて、免疫機能を高めるために、心拍、血圧などの循環作用を調節し、消化器機能、排便・排尿機能、消化液の分泌作用といったものを亢進させる。カウンセリングの最中に、急に便意や尿意を催すクライエントが多いのは、交感神経の緊張がほどけて、副交感神経の働きが促進されるからである。 ところで動物実験で、こんな事実が観察されているという。ラットを自由に動ける状態にして電気ショックを与えると、交感神経の亢進が起こる。しかし、ラットを拘束して同じ刺激を与えると、副交感神経が優位に立ち、言うなれば「フリーズ」状態となる。 つまり、困難な状況を回避できるという認識があるときは交感神経が興奮し、絶望的だと認識すると副交感神経のほうが優位に立つ。 実に、この反応は「無気力、無関心、無表情」や「無感情、無感動」といわれる日本の若者の姿と重なる(最近は、若者だけでなく全般的に)。この傾向も「副交感神経の優位」と解釈すれば合点がいく。実際、その言動パターンを観察していると、明かに身を竦ませて「動けない」心理状態が窺える。 「自分中心」心理学では、思考パターン、言動パターンを、大きくは2つに分類している。この分類が「交感神経」型と「副交感神経」型とに合致する。身体の機能上のメカニズムと心理とは、これほど緻密に関連しているのである。 能書きが長くなったが、この副交感神経の過剰で起こる代表的な疾病が、アレルギー疾患である。 こんな理由から、若者を初め、あらゆる世代層に花粉症を始めとする様々なアレルギー疾患が蔓延しているのも頷ける。 これを「意識の法則」で言えば、花粉症は、前記のような社会や人生に対する微妙な諦め感が土台にあった上で、人が側に近寄るのを毛嫌いしている意識である。 それを、鼻で嫌っている。 その毛嫌いには、相手を人間と見ていないような侮蔑感や軽蔑感がこめられている。家庭で娘が、自分の洗濯物と父親の洗濯物と一緒に洗うのを毛嫌いするのにも似た嫌悪感である。 例えば最初はそれが父親だったのが、だんだん他者に対しても、そんな意識を抱くようになる。 自分の領域に侵入されることを警戒し、それに敏感に反応しながらも、自分が「フリーズ」して動けないから、鼻で相手を退けようとする。そんな嫌悪感である。 (そもそもは、そんなふうに毛嫌いするようになったのは、「自分の意志を大事にして主張する」のが「怖い」という思いから発生しているものである。主張できずに諦めて、人生そのものを「まあ、こんなもんだろう」などという呟きでやり過ごしているのではなかろうか。) 肉体は細胞で成り立っている。血液も細胞である。 意識と身体の関係でいえば、単純に、肯定的な意識で身体の特定の箇所を意識するか、否定的な意識でそこを意識するかで、細胞は緊張したり弛緩したりする。 自分が意識する通りに、細胞も、緊張したり弛緩したりする。 ある一定の固定したマイナス意識を抱くということは、特定の細胞を緊張させて攻撃していることになる。 それが恒常的に続けば、当然疾患となるだろう。 これが本当かどうか。「自覚して腑(府)に落ちれば」、それだけで症状が軽減するから、変化があった人は教えてほしい。 ちょっと余談だが、数十年前、杉の花粉が、こんな形で我々に影響を与えると誰が予測しただろうか。しかもそれは、「副交感神経が優位」になる、つまり“諦め感”が蔓延していく社会意識に比例して、杉が育っていって花粉を舞い散らせて花粉症を引き起こすという現象を、読者はどういうふうに受け止めるだろうか。 |
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| 「同情の支配」に乗らない 石原加受子 |
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| あなたは、知らずのうちに「同情の支配」に乗っていないでしょうか。 「私は無力だ」と思い込んでいると、他者に依存して生きていこうとします。誰かに依存していかないと、生きていけないと、思い込んでいるのです。 自分の力では何もできない。でも、愛されたい。注目されたい。守ってもらいたい。私は戦う力、向き合う力がないので、私の代わりに、誰かが戦ってほしい。 「私は無力だ」と思い込んでいる人が、こんな自分の願いを叶えるためには、どうしたらいいでしょうか。 それには、誰かを味方につけたほうが手っ取り早い・・・ですね。 でも「無力な私」が、どうやれば愛されるか。 あるいは、怖い相手をどうやって相手を懐柔するか。 「戦う力のない私」が、どうやって敵と戦うか。 「ああ、そうだ、同情という手があったではないか。相手の良心の痛みに訴えよう。相手の良心を揺さぶれば、胸にグサリと突き刺さるから、こんな良い手はない」 というわけです。 そういう無意識の駆け引きで、誰かと誰かが対抗したりしています。 例えば夫の両親と同居している妻が義父に同情するとすれば、義父は、妻を同情で味方につけて、義母(つまり義父の妻)に対抗しています。 他方、夫の母は、自分の息子を同情で味方につけて、息子の父(つまり母の夫)に対抗しています。 夫の両親は、夫婦として、「夫と妻」として二人で向き合えないために、息子夫婦をそれぞれに味方につけて、いわば代理戦争で、主導権争いをしているのです。 しかしこうやって「同情の支配」をしていると、どんどん不幸になっていきます。 どうしてでしょうか。 それは、同情の支配をするには、「不幸な人。悲劇の人」でなけばならないからです。 同情されることによって、 「相手に関心を持ってもらおう。相手にしてもらおう。愛してもらおう」 と思えば、自分自身がまず、「悲しい、哀れな人」でなければなりません。そうでなければ、誰も同情してくれませんからね。 だから、同情の支配をしようとすればするほど、本人は「不幸な私」にならざるを得ないのです。 ダイアナ妃の生涯が、そうですね。 それを愛だと錯覚するのも、同情の支配の怖いところかも知れません。 どんなに「愛している」と思っていても、その結果、それが不幸になるとしたら、それは決して「愛ではない」と考えてください。 という言い方に抵抗を覚える人のために、少なくとも、「質の高い愛ではない」といえるでしょう。 「同情の支配に乗っていく人」もまた、不幸になっていきます。 なにしろ、相手が「幸せになろうよ」と手を差し伸べても、不幸でなければコミュニケーションがとれないのですから、「幸せになろうよと言ってくれる人」との関係が、幸せであっては困るのです。 だから「同情の支配」の乗ってしまうと、夫婦だけでなく、親兄弟、子供、身内と、その災いはどんどん拡がっていきます。 一家心中というのは、その最たるものです。 はっきり言えば、どうしても自殺したいのであれば、自分だけにしてほしいものです。 けれども、「自分を無力だ」と信じている人は、子供は親無しには生きていけない。子供を残して死ぬと不憫だと自分の勝手な思い込みで、そう信じてしまうのです。子供にとっては、迷惑な話です。 さらに怖いのは「同情の支配」は、相手の「良心の痛み」や「罪悪感」を引き起こすという点で、暴力や言葉の暴力といったどの支配よりも強烈です。それこそ、それは相手の魂をも支配してしまうほどの威力をもっています。 そういう意味で「同情の支配」は、とても残酷です。 「選択の責任」でいえば、この例の場合、父と母の問題です。 いつも思うのですが、家族のあらゆる問題は、最後は「夫婦」「妻と夫」の関係に還元していきます。 自分のやったことは、自分に還流していく。 結局、「撒いた種は自分で刈り取る」ような状況に、自分が創っていきます。(本当は、ここが無意識のすごいところなんだと言いたいのですが) 幾つになっても、それが70歳であろうが80歳であろうが、生きている限り、自分のテーマは、自分が自分に突き付けていきます。 だから、「そのチャンスを他者がむやみに邪魔すべきではない」。良くも悪くも「それが責任だ」という捉え方もできるのです。 もちろん、それは「だから無視しろ」というわけではありません。そんな「同情の支配」を見極めた上で、周囲が、愛情のある関わり方をしていくことはできます。 その関わり方については、カウンセリングでもっと具体的に聞いていく必要がありますので、ここでは割愛させていただきます。 少なくとも、「同情の支配には乗らない」と決断するだけでも、悪い状況がエスカレートするのを回避することはできるはずです。 |
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| 読者の声・受信・発信 新刊を読んで I さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「願いがかなう人になるシンプルな方法」、読み易く的が絞ってあるのでわかりやすく、こんなに簡単なやり方で楽になれるんですね。 自分の内からのサインがよく聞こえるようになりました。これは以前も発していたのでしょうが、外からの声ばかりに反応して、自分の感情にフタをしていたんですね。 今は、自分の感情に素直になると、「嫌! やりたくない」という方が多いのですが、これを十分味わっていくと、やりたいことがみつかるだろうと思います。 今までも自分のやりたいことはやってきたつもりですが、やった後「これで本当によかったのかな?」と自信のなさが首をもたげていました。 小さい頃から「よく考えて行動しなさい」と言われても、理論的に考えられない自分に自己嫌悪を覚えていました。 先生! 私の苦手な「考える」ということはおいといて、直感に従えばいいんですよね。 セミナーを受けて、今は、自分の中で小さな革命がおこったようです。 「セカ中」−−私にとっては、世界の中心に私が存在しているって感じかな。 自分の核の部分を大事にすればいいですね。 自分のカラを一枚ずつ脱いで脱皮していく私、そうすれば真の私の姿が現れるような気がしてセミナーに参加しています。 |
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| ある日学校で六九 宮崎 久実子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 子供が成長するのをじっと見守るしか出来ないのは面倒見のよい親にとってこれほど苦しいものはない。 でも親は子供が墓場に行くまで生きているものではない。 仕事場には一人で行かねばならない。 或いはそこまで行く前に学校に通わねばならない。 ところが子供社会は、「大人と子供」という関係ではなくなる。 そういう点では実に残酷だ。 自分たちと異質と子供たちが感じれば、容赦なくいじめが入る。代わりに世話をしてくれる者などいない。あっという間に取り残されるか、締め出される。今までと違って、誰も声をかけてくれない。次第に独りぽっちになって行く。今までは、誰かが守ってくれたし、どうすればいいか指示してくれた。でも、外の世界では教えてくれない。 つらい日々が始まる。 何でも親が手を出して育った子は、生きていく術を知らない。 一生誰かが守ってくれないのであれば、早くから社会生活を営む術を身につけることが必要なのではないか。今は突き放すように見えても、将来のことを考えるのであれば、失敗し、時には痛い思いもし、一つずつ解決していくことを学ばせねばならないのではなかろうか。 今の辛さは、将来必ず役に立つと信じて。 |
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