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第87号 2007. 7 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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| 最新刊!! 「邪悪な人を痛快に打ちのめす!」 こう書房 ★☆★ 初日から、好調な動きです。 頑固なお父さんや夫や、会社の上司。 口うるさいお母さんや妻。 優柔不断な男や女。 気づいてもらいたいけれども、 主張するのが怖いあなた。自分の気持ちを伝えられないあなた。 2冊買って、1冊を相手に贈りましょう。 恋人に、夫に、妻に、親に、同僚に、友人に。 必ず「チクッ」とする良心の痛みと共に、「はっ!」とする気づきがあるはずです。 誰もがもっている要素です。 ・自分が世の中で一番偉いと思っている傲慢男 ・路上に吐き出したくなるように、おんぶに抱っこの甘ったれ夫 ・縁を切りたくなるほど添い寝に介護の、口うるさい父親 ・催促してもしても平気で借金を踏み倒す男 ・人を病気にしてしまうほど、世界一偉い夫 ・この世の終わりのように愚痴をこぼす母親 ・こっちから別れを切り出すしかない優柔不断な男 ・取り囲んで土下座させたいほど人を見下す男 ・不信と不安で寝込みたくなるほど、私生活を隠す男 ・尽くしても尽くしても実らない、都合のいい女、都合のいい男 ・海外逃亡したくなるほど重い母の情 ・怒りで歯ぎしりしたくなるほど美人を鼻にかける上司 ・返す言葉もなくすほど、唖然とする無神経な母親 ・身も心もボロボロになるほど、気まぐれな二股女 ・追っても追っても振り向かない男 ・何年連れ添ってもさびしい夫婦の、通じない会話 等など 頑固なお父さんや夫や、会社の上司。 口うるさいお母さんや妻。 優柔不断な男や女。 気づいてもらいたいけれども、 主張するのが怖いあなた。 自分の気持ちを伝えられないあなた。 2冊買って、1冊を相手に贈りましょう。 恋人に、夫に、妻に、親に、同僚に、友人に。 必ず「チクッ」とする良心の痛みと共に、「はっ!」とする気づきがあるはずです。 この本だけを読んだ人にとっては、石原は過激だという印象を抱くかもしれません。 もし、そうだとしたら「やった!」って感じです。 「もっと自分中心でうまくいく」 こう書房 自分を愛するだけでいい。自分を解放するだけでいい。“もっと”どころか、 “もっと、もっと”身勝手でも、わがままでもいい。 ただひたすら、自分を愛するだけで、比例して愛も成功も仕事もうまくいく 「人間関係に奇跡を起こす83の方法」(サブタイトル) やり方一つで天国・地獄 大和出版 ちょっとした発想の違い、やり方、行動の違いで、「まるっきり正反対の結果になるんだ」と納得できる本。あなたの環境と人間関係が天国となるか地獄となるか、それはあなた次第です 「欠点を長所に変える話し方」 PHP研究所 「欠点」を「長所」に変える!/「不安」を「安心」に変える!/主張する/断る/謝る/叱る/決断する/リスクを回避する/マイナスをプラスに変える逆転法 「自己解決能力を獲得する法」 (みずほ銀行の)みずほ総合研究所 思考すればするほど、悩みもトラブルも増えていく。具体的に行動して初めて解決する。自己解決能力を飛躍的に伸ばす。その実践法を小冊子に凝縮 「願いをかなえる人になるシンプルな方法」 大和出版 「好き嫌い・快不快・苦楽」を基準にして生きたほうが楽に生きられる。自分の気持ちにフタをしないで、感情を解放させれば、すべてがうまく回りはじめる。 メルマガ無料配信中! 月3回 毎週水曜日発行 オールイズワンの「ホームページ」トップページから、登録できます。 簡単な問題やご質問を、マガジンページ内でお答えしています。 |
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不幸でなければ許されない罪悪感 石原加受子 |
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| 「選択の責任」は、また、“罪悪感”の基準です。 もし「選択の責任」にかなっているにも関わらず、あなたが罪悪感 を覚えるとしたら、それは「操作された罪悪感」と思ってください。 そこには、相手に罪悪感を抱かせることで、相手を支配していよう という意図が隠れています。 選択の責任を見極めると、その操作された罪悪感に気づきます。 そんな操作を目的とした罪悪感を解消したいときは、 「これは、操作されインプットされた罪悪感なんだ」 と言葉でつぶやくのもいいでしょう。 私が悪い。私は罪深い。 一見、崇高な感じがします。 この罪悪感も、意識レベルでいえば、人それぞれです。 もし心から「私が悪かった」と思うのであれば、ただ後悔するだけ でなく、「もう二度としないぞ」と誓い、その努力をし続けます。 その罪悪感を、建設的なものへと引き上げる礎(いしずえ)とする ことができるでしょう。 それが「責任として正当な罪悪感」であれば、その「責任を果たす。 償う」ということで、自分の中の罪悪感を軽くするための努力をして いきます。 自分中心心理学的に言えば、「どうしても自分を責めてしまう」と したら、自分を責めないで済むために、罪悪感を解消するために、 「どうすればいいか、どんな努力をすればいいのか」という発想をし ます。 けれどももし、どんなに自分を責めても、その状況を、 「いま、変えることはできない」 としたら、多分、それは罪悪感を感じるレベルのものではないと、 私は判断します。仮にそれが、一般的には非常識、不道徳、非道徳、 不実と言われようと。 なぜなら、そんなふうに「すぐには動かない状況」の中には、それ に関わっている複数の人達の“無意識の同意”があると、捉えるから です。 相互に同意があるということは、有り体に言えば、それぞれにメリッ トがあるということです。もちろんこれは、無意識のメリットです。 そこで起こっていることが、「すぐには解決できない、動かない状 況」だとしたら、そこには、あなたの顕在意識では理解・把握できな いところの理由があります。 個人の理由。相手の理由。相互での理由。スパーネイチャー的に言 えば、過去世の関わりもあるでしょう。 そういったものを含めても「同意」があるのです。 もちろん、そんな理由を「顕在意識」で把握することはできません。 だから私は、あれこれ悩んでは自分を責めて罪悪感で苦しむよりは、 その状況を受け入れたほうがいいと言うのです。 自分を責めれば、それで終わってしまいます。 というより、もともと「自分自身が、その状況を変えるつもりがな い」ので、罪悪感で自分を責めて、それで動こうとしないのです。 自分を責めることで、自分がやっていることを正当化できます。 自分がやっていることに対して、自己弁護できます。 自分を責めることで、少し安心することができます。 自分だけでなく、人を責めたい気持ちももっています。 タイトルにあるように、自分が幸福になることを許さないのが罪悪 感です。 それは、時代劇で長屋に住んでいる「武士は食わねど高楊枝と、生 活を支える妻」というようなイメージがぴったりです。 夫は仕官復活を目指しているけれども、なかなかそれが叶わない。 内職したりしながら、夫を支える健気な妻。 こんな健気な妻を理想とする古い男性も少なくありません。 けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。 まず、妻は心の中で、どう思っているのか・・・。 ・夫は、絶対的権威です。 ・夫を愛しています。(二人は良くも悪くも一心同体です。) ・顕在意識では、夫に仕官の口が見つかるまで耐えようと覚悟してい ます。 ・他方、夫を経済的に頼ることはできないので、私が働かなくっちゃ と思っています。 ・と思いつつも、私自身も仕事をする自信がありません。 こんな状況のもとで、「妻が、まったく不満を抱かず、心から幸せ な気持ちでいるかどうか」です。 ・夫には武士として仕官する以外、仕事ができないとあきらめている。 ・こんなふうに苦労するのは、夫に能力がないからだと、夫を責めた い気持ちがある。 ・夫以外の誰か、心のよりどころがほしいと思っている。 妻の心の中に、こんな気持ちが「まったくない」といえるでしょう か。まさに藤沢周平さんの世界です。 さらに妻は、こんなふうに思う一方で、そんなふうに思う自分に対 して、罪の意識も覚えます。 時に、 「どうしてこんな夫と結婚したんだろう。いっそのこと、こんな夫、 いなくなってしまえばいいのに」 などと、復讐的な気持ちが湧いてきたら、そんな自分にすぐさま気 づいて、 「なんて私は、おそろしいことを考えるのだろう。私は、なんてひど い妻なんだ」 と「健気で心の美しい妻」は、いっそう自分を責めるでしょう。 不運な境遇に耐え、素浪人の夫を支え、時として心の中で夫を責め ては、さらにそんな自分を責める罪悪感の強い妻が、「自分を責めな いで済む」と同時に、上記のような矛盾する思いをすべて叶えるため には、どうすればいいでしょうか。 だいたいこんなとき、定番ストーリーでは、妻が女郎に身を落とし たり、誰かの愛人になったりして、生活を支えます。 そう。これが「矛盾する自分の思いもすべて叶えている」結果なの です。 まさに、そうですね。 「こんなふうに罪深いことを考えてしまう私なんて、武士の妻として 失格だわ」 妻はそう自分を責めつつも、「なんで私ばかりが、こんな苦労を」 とも言いたい。 妻は、夫の嫌がる仕事をして、夫に復讐もできます。 自己評価の低い妻は、犠牲者を演じて、自分を傷つけることで、夫 を、それ以上傷つけることができるのです。 自分を責めないためには、夫がそれ以上に悪者でなければなりませ ん。 というふうに、「健気で美しい」罪悪感の強い妻は、「同情の支配」 を武器にして、自分のやりたいことを、罪悪感を覚えないで実行する には、相手を徹底的に悪者に仕立てあげるか、徹底的に不幸な環境を 創るしかなくなっていくのです。 “絶対的優位”に立つまで犠牲者の役割を演じて、「相手がどうに もだらしないから、こうなるしかなかった」という現実を創り出しま す。 そういう点での忍耐力は、相当なものです。 妻がこうであるとき、「自分中心心理学」では、夫のほうも無意識 に、それに「同意している」と捉えます。 妻は、罪悪感を覚えないために、“絶対的優位”に立つまで犠牲者の 役割を演じます。 そして、「もう、こうするしかなかった」という現実を創り出すために、 忍耐します。 妻がこうであるとき、「自分中心心理学」では、夫のほうも無意識に、 それに「同意している」と捉えます。 夫のほうは……。 ・自分には、能力がないと思い込んでいる。 ・妻に見捨てられるのが怖い。 ・多少は妻を自由にしなければ、妻との関係も破綻してしまうだろう。 ・しかし、妻だけ自由に解放してやるのは、悔しい。 ・逆に、自由にしてやると、逃げるのではないかと不安にもなる。 ・妻が何をしているか、知りたくない。詮索したり、知ってしまえば、別 れることになってしまうだろう。 ・独りで生きていくのはつらい。 といったふうに。 あるひとつの出来事に関わっている人たちの意識を探っていくと、 起こっている現象の奥には、それぞれの人たちの、無意識の同意が あります。 この「夫と妻」のように、罪悪感で自分を縛れば、無意識は、こんな 手の込んだ方法で、それぞれの思いを達成させようとします。 だから、むやみに「自分を責めることはない」と言いたいのです。 罪悪感に縛られて自分を責めても、結果は不幸になるだけです。 不幸にならならければ、思い通りにできない、というのであれば、 決して幸福にはなれませんからね。 無意識のところで「同意があるんだ」として、自分を責めないほうが、 その中で、何かを学び取ろうとするでしょう。 「私がそうしたいのは、あるいは、そうしてしまったのは、もろもろの 理由で、そうせざるを得なかったのだ。そこには、相手の同意があっ たのだ。だから、いいんだ」 と自分を責めない言葉をつぶやこう。 自分を責めるのであれば、むしろ、まだ、“感謝”したほうがいい、 と私は思います。 そのほうが、かえって、打開策の妙案が浮かぶでしょう。 罪悪感から解放されたときにこそ、 「私は、こんな中ぶらりんの状態が、いやだ。だから、自分の気持ち のけじめがつくように、心がすっきりするように、努力していこう」 という気持ちになるものです。 もし状況を動かすことができないとしたら、 「いまの私には、これが必要なんだ。だからいいんだ。これは、無意 識に相手も同意していることなんだ」 とつぶやいて、罪悪感を捨てることですね。 |
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“世界的に有名な”願望達成の概要に触れました |
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| 最近、世界的に有名な「願望達成セミナー」の概要を知る機会を得ました。 言っている内容は、本当です。 内容は、もう、まったくの「自分中心」です。 「自分中心」をベースにして、願望達成に特化させているものでした。 自分中心を特化させて、願望達成に向けています。 自分中心になって、願望を特化させれば、実現します。 ですから、最短で願望達成するには、「自分中心」が必須です。 ところが、かの有名なセミナーは、「自分中心力」に至るまでのスキルを教えていませんでした。 「自分中心力」こそが肝心なのに、です。 その方法で、「一部の人は成功するものの、大半の人はそうならない」のは、こういう事なのでした。 ここが「自分中心心理学」の強みです。 むしろ、私は、「世界の最先端を行く」と、「自分中心心理学」に、いっそう自信を持ちました。 意識の探求という点では、自分中心心理学のほうが、はるかに深いと確信できました。 即効性ワークは、マイナス感情を解消し、こだわりを消して、例えば「成功する」に意識を集中することができるようになります。 「こだわりを解消する」も「願望達成する」も、原理まったくは、同じです。違いは、願望達成という、目的志向の強さだけです。 そういう意味で、「自分中心」は、願望達成のための、最高かつ最短コースともいえるでしょう。 まさに、だから即効性ワークですね。 ではなぜ石原は、例えば「お金持ち」にならなかったのか。 安心してください。 それは、単純に、石原が、そこに関心が薄かったからに過ぎません。 願望は、人それぞれです。 石原は「意識の探求と心理療法」のほうに、関心が強いだけです。 だから、意識の探究をより深く、さらに深くという点では、“願望達成”しています。 願望達成は、単に、どこに目標を置いているか、だけの違いです。 『即効性ワークの手順を、自分の中に、インプットする。あとは、願望に集中させる。』 これができれば、 『あなたは、願望達成の、最短コースにいます。』 懸賞金をゲットするような、一回のみのチャンスではなく、継続的な「愛と成功」です。 受講されたみなさん、プログラムの手順は、単にトレーニングです。 巨大な宝石の原石を、そのまま放置しないでくださいね。 「即効性ワーク」で感情を解放できればできるほど、「願望達成」が速く、早くなりますよ。 ☆★☆ フォローアップセミナーでは「願望達成」も実施します。 「すぐ変る即効性ワーク」は、人生パターンそのものを「愛と成功」に導くワークですが、もちろん、一点集中の「願望達成」にも応用できます。 フォローアップセミナーでは、“特典”として、参加者一人一人にアプローチして、一点集中の「願望達成法」も実施します。 これもまた、即効性ワーク受講者、および「自分中心」の人にとっては、簡単です。 |
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読者の声・受信発信 真逆の世界 込山美奈子 |
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セッションを受けているとき、自分の体感を「不思議でした」としか 表現できませんでした。 自分中心の観点から言えば、それは自然なこと、もっともなことなの でしょうが、私は小さい頃から、 「この世は修業の場だ。苦しいことは次々とやって来る。乗り越えた 数が人生の勲章だ」 と言い聞かされて育ってきました。 人生には苦しいことしかないと思ったし、歯をくいしばって立ち向か う姿が美徳で、血がにじむまでやることが努力なんだと、小さい頃は 真面目に受け止めていました。 が!いま考えるとゾッとします。 「血がにじむ?!」 私の体から血がにじみ出すのを見て、親は、 「そうだ、その調子!」 と思うのだろうか。 自分達が生きていて苦しいから、そんな口実を作り上げていたんです ね(-_-;)。 ですから、「自分中心の事象」を目の当たりにしたときに、その真逆 の世界や、心の持つ力に驚いてしまって…。 バーバルとノンバーバル、光と影、男と女…世界は一つ。 心&体の世界一周旅行、まだまだ楽しみます! ありがとうございま した。 |
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| 4月と5月は浄化期でした 西岡利晃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 6年周期リズムは、その名の通り、6年の周期で見ていくものですが、 1年の中で見ると、12ヶ月の中に、 浄化月が2ヶ月間、隆盛月が2ヶ月間それぞれあります。 私は昨年と今年が隆盛期(年)ですが、 その中で、4月と5月は浄化月に当たります。 この2ヶ月は、浄化として捉えることが出来た現象がありました。 先ずは、肉体的な変化から見て行きますと、 背中の中央より少し上の胸椎の部分にいつも引っかかりがありました。 おそらく表面上、その部分で数ミリずれがあり、 そこの力が抜けず、歩いていても、寝ていても、深呼吸しても、 柔軟体操しても、姿勢を正しても、引っかかるのでした。 5月上旬からその部分の上から首にかけて、異常にこるようになりました。 背中や肩、首がこることは今までもありましたが、 今までとは比較できないくらいこりを感じるようになりました。 とくに5月下旬は首がこってこって、伸ばしたりしても、 まったく解消されませんでした。 そのうち背中も痛くなってきました。 ところが、6月に入って間もなく、そのこりと痛みが、 全く消えてなくなりました。 それは骨格が変わったのだと思います。 そして引っかかっていた背中のポイントが無くなって、 スムーズに通るようになっていたのです。 同時に肉体的な変化と連動して、 自分にあった卑屈の意識が消えていると、指摘されました。 昨日までは卑屈があったが、今日は変わっていると。 実は昨日いろいろと、話をする中で、 自分の過去について語ったことがあり、 ある部分で、自分を認めることが出来たのでした。 |
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| あるはずの物が見えない 石原加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2、3年前、旅行に行ったとき、その温泉旅館に、フットマッサージャーがあった。 お風呂上がりにそれに足を乗せると、足の裏に響く、その振動が心地よい。 パンフをもらって、さっそく取り寄せた。 以来、ときどき使用している。 その日も、少し時間があったので、夕刊を拡げて、マッサージャーにかかろうと、スイッチを 入れた。 スイッチは、コードのついたコンセントのスイッチと、マッサージャー本体についている始動 開始のスイッチの二つである。 まずコードのついたコンセントのスイッチを入れる。つぎにマッサージャーのスイッチを入れ る。 マッサージ機が勢いよく振動を始める。 新聞に眼を通しながら、その振動を感じる。 としばらくすると、急に勢いをなくして、エンストのような感じて止まってしまった。 「えっ、ついに壊れてしまったんだろうか。でも、そんなに年月は経っていないのに」 などと考えながら、コードをたどっていくと、さらに、 「えっ??」 コードのはしを見て驚いた。 そのコードは、もともと壁にある元コンセントにはつながっていなかった・・・・。 「じゃあ、どうして、動いたんだろう・・・」 家人が言う。 「きっと、電気がマッサージャーの中に、残っていたんだね」 そんな話、聞いたことがない。 と思いつつも、そういうこともあるかも知れない。 後で、同じ設定、条件で何度かやってみたけれども、ついに同じ現象は起こらなかった。 その原因はわからない。 元コンセイントと本体をつなぐコードの長さには、ゆとりがあった。 何かの弾みに引っ張って、コードが外れたとは思えない。 家人が言うように、電気のエネルギーの残っていたのか。 私がコードに触るチャンスはなかったものの、やはり、何かの弾みに外れ落ちたのかも知 れない。 まあ、これは、大袈裟に言えば、真相は薮の中。 こんな不思議なこと(かも知れないこと)は、確かめようがないので、何とも言いようがない けれど、ここからが、本題なんです。 いわゆるスーパーネイチャー的な体験はしばしばするものの、自分自身では、半信半疑。 どうにでも解釈できるといえば、できる類いの場合もある。 (むろん、そうでないものある。) いずれにしても、自分が信じるに足るものとして、 「あの(映画の)リングのように、コンセントがつながっていなくても、テレビが動くようなこと があれば、信じてもいいなあ」 と、確かに、2、3日前、つぶやいた。 ところが私は、テレビは見ない。テレビで、そんな現象が起こるのはむずかしい。 「ああ、だから、マッサージャーか」 と妙に納得した。 そう信じているとそうなる。 軽い感覚のときほど、それは起こる。 それが事実かどうかはわからない。何が原因なのかもわからない。 原因はわからなくても、思い込むと、それが形になって現れる。 自分中心心理学を学んいくと、いっそう、そんな体験をしはじめる。 誰にでも備わっている、こんな「意識の法則」の絶妙さに、私はいつも驚嘆する。 「それにしても」と、私は思う。 「願望達成」の成功体験として、 「私は、〇〇を手に入れた!」 「懸賞金が当たった!」 「新車が買えた!」 「〇〇〇〇万円手に入れた」 などという記事が掲載される。 ふと、疑問に思うのは、その後、どうなったのだろうか、ということだ。 連続して懸賞に当たり続けているのか、それとも、その一回こっきり? 「意識の実現化」というのは、思い込みが大きく作用する。 「思い込み」は、一種の暗示である。 この思い込みによって、願いが叶うと暗示的に信じてるときは、叶う。 だが、暗示が解けると、とたんに叶わなくなる。 上記のような「願望達成」は、こんな暗示の思い込みに因る場合がほとんどだと、思っている。 だから、“一発勝負”で終わる(多分)。 「自分中心心理学」では、矛盾がない状態の思考を「純粋思考」と呼んでいる。 雑念のない瞑想状態のような思考と言えばいいのだろうか。 日常生活で、こんな雑念のない「純粋思考」を維持できればできるほど、神秘体験や超常現象、超能力の世界となる。 この純粋思考と、一発勝負の思い込みとは、質の高さは異なるが、“純粋”という点でちょっと似ている。 けれども、こんな思い込みは、暗示が解けると、それで終わる。 そうとう昔の話だが、スプーン曲げの実験に参加したことがあった。 そのセミナーのひとつに、スプーン曲げがあるとは、事前には知らされていなかった。 もちろん、市販の普通のスプーンである。 しばらく、暗示をかけるワークをした後で、参加者がそれぞれに、スプーン曲げに挑戦した。 念力で曲げるのではなく、手で曲げていくものだった。 スプーンは、水飴を操るかのように、グルグルとよく曲がった。 参加者の中でも、私のスプーンが最も曲がっていたのは自覚していた。 講師の人も、私に注目していたのがわかった。 けれども、途中で、そんなことに夢中になっている自分がおかしくなって、 「もう、いいや」 とはっきりと自覚できる気持ちで意識した。 とたんに、スプーンは、曲がらなくなった。 講師の人が、こう言った。 「おかしいなあ、もっとこっちのほう(丸いくぼみの部分)も、もっと曲がるはずなんだけどなあ」 曲がらない理由が、私の中にあると知っていたから、私は、黙って答えなかった。 いまもそのスプーンは、とってある。 我々一般社会では、スプーンがグニャグニャ曲がらないのが常態だ。 そう思い込んでいる。 「簡単に曲がる」と暗示をかけると、曲がる。 ところが、もともと「曲がらない」と信じているから、暗示が解けると、曲がらなくなる。 もともと金属は、「グニャグニャ曲がるものだ」と「純粋思考」で信じていれば、曲がるのが常態となる。 常識を常識と思い込んだとき、それが常識となる。 とりわけ、常識という点において、我々は、どちらかと言えば否定的なもののを思い込みのほうを、より強く意識している。 それは否定的な者は、恐怖を土台にしているからだ。 例えば、病気。 病気になるのを気に病んでいたり、重い病気になるのを恐れる。恐怖から、病気をつくり出す事すらしてしまう。 ところが、重い病気になるとは“容易に信じる”のに、“病気が治る”というのは信じない。 慢性病だと言われると、もう、持病だから治らないと信じ込む。 というふうに、いかに我々は、悪いことが起こるというのは容易に信じやすいのに、良いことが起こるとは信じにくい。 悪い現象は打ち消しても打ち消してもついてくるのに、良い現象は、なかなか起こらないし、起こってもすぐ消える。 我々が、そう信じているから、そうなる。 だから、「願望達成」の多くが、連続的、恒常的に続くより、一発勝負で終わってしまう。 我々は、この、 「悪いことは起こりやすく、良いことは起こりにくい」 という思い込みから、なかなか抜け出せない。 こんな言い方をすると、いっそうそれを“強化”する。 では、 [という思い込みを、なんとか減らしていきたいもんだ。] [という思い込みを、できるだけ減らしていきたいもんだ。] [という思い込みを、どんどん減らしていこう。] [という思い込みが、最近、どんどん減っている。] [という思い込みは、私にはない。] あなたは、上記のどのエンディングがぴったりしますか。 そのエンディングに応じたことが、あなたに起こるでしょう。 (ちなみに、質の高い「純粋思考」でも、さまざまな現象を体験できるが、精神病理学的な妄想の「純粋思考」でも、さまざまな現象を体験する。 似たような体験にも、その質とレベルがあるから、そんな能力をもつ人がいるからといって、それがイコール「人間的にもすばらしい」とはいえない。 それにごまかされない自分自身でいたい。) |
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