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第83号 2006.11 発行 http://www.allisone-jp.com/ info@allisone-jp.com |
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最新刊!!
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| 新刊からの抜粋 「もっと自分中心でうまくいく」こう書房 石原 加受子 |
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| そもそも、ほんとうのところ、さまざまな占いや超能力、神や天国、 地獄、輪廻転生や生まれ変わり、臨死体験、あの世などを、自分がど こまで信じているのか、大半の人が自分でも分からないのではなかろ うか。 我々は、イメージで空を飛ぶことができる。 しかし宇宙空間ならともかくも、地球では、地球の原理と秩序の中 に生きていて、飛べない(まったく可能性がないわけではないから、 ゼロとは言わないが)。 このイメージと現実とが、意外と曖昧な状態で存在している。 我々が、そんな「曖昧な状態」を日常的に受け入れていられるのは、 脳が、相互作用的に統合的に働いているからだろう。 ところが、強迫観念的な思考に囚われている人は、違う。 「思考」では、 「手は汚れていないのだから、何度も洗うことはない」 その行為が不合理なのだと認識していながらも、繰り返さずにはい られない。 そのメカニズムを科学的に説明することはできないが、私は「思考 と感情の回路がつながっていない」からだと解釈している。つまり、 「思考」では理解していても、感情のところでは納得していない。明 かに思考と感情がバラバラに機能している。 繰り返しやっても、その行為と感情が一致しない。 その行為を受け入れ、「感情」のレベルが思考のレベルに近くなり、 お互いが交流しはじめて、その不合理性を、「実感」をもって納得で きたとき、症状が消える。 思考と実感が分離して働くメカニズムに気づくことで、過去世であ れ臨死体験であれ、超能力であれ、あの世であれ、現実は直結してい ないから、本気で信じているわけではないが、信じていないわけでも ない、という決着の付け方で、落ち着いていられる。 そういう意味で経験として知っているかどうかと言えば、多分、映 画やコミックやシミュレーションゲームの感覚で受け止めているので はなかろうか。 過去世であり臨死体験であれ、超能力であれ、あの世であれ、現実 は直結していない。 それがあってもなくても、実生活とは境界線が引かれていて、それ がお互いに浸食することはない。感覚的には、曖昧で、自分自身すら わからない。 だから神社仏閣で祈りもするし、占いも信じる。 こんなふうに曖昧な世界と実生活と境界線が設けてあれば、いつで も引き返せる。けれども、それを“依存的”に信じてしまったら、 「他者中心」の人ほど、自分の中で、情報が錯綜し、絡み合い、矛盾 し合って、衝突し合って、統制がとれなくなっていくに違いない。 まして精神的に疲弊している人にとっては、そんな情報は危険でさ えある。 と言いつつも、私がこんな本を出せば、いっそう混乱を来す人もい るかも知れない。 が、最低、私が本書で言いたいのは、「意識が現実を創る」という ときの、この「意識の根源的なもの」とは、無意識、顕在意識かかわ りなく、「愛と明確な意志」のことを指す。 目的を達成するのに、争いは必要ない。 例えば、戦いに戦いをもってして平和を築いたとしても、「戦って 平和を獲得する」という方法論の問題は残る。 実は、この「戦って平和を」「戦って成功を」「戦って天下を」が、 地球規模の課題ではなかろうか。 平和を築くには、戦って勝たなければならない。 幸せになるには、人に打ち勝って、人より優らなければならない。 対して「自分中心心理学」は、“自分自身を愛すれば愛するほど” 周囲と調和しながら、愛も成功も経済的豊かさも得られる。自分自身 を活かし創造性を発揮できるとする。 |
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| 相手に言えない 石原加受子 |
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| 「どうしても、相手に、自分の気持ちを言うことができないんです。自分の気持ちを素直に言ったほうがいいとわかっているけれども、相手を前にすると、何も言えなくなってしまうんです」 と、いう声をしばしば聞く。 自分の気持ちを言っても、相手から自分を否定するような返事が返ってくると、言ったことで、余計に傷ついてしまう。だったら、傷つかないために黙っていたほうがいい。 そう考えて黙ってしまう人が少なくない。 ところが我慢しながらも、他方では、「言えない私が情けない」とばかりに、自分を責めてしまう。 こんな気持ちになるのは、もちろん、我慢するからで、我慢するからいっそう「自分がダメだ」という気持ちになって自信を無くし、ますます言えなくなってしまうと悪循環になっている。 こんな「言えない」場面を、自分自身の問題として考えるなら、「言えない私がダメだ」と自分を責めたくなるのも無理はない。 しかし、これを「関係性」で捉えるとどうだろう。 本記事の「超感覚」とも関係があるのだが、もしあなたが、自分を責めたくなっているとしたら、こんなふうに考えてみてほしい。 「私が相手になかなか自分の気持ちを伝えることができないのは、実は、私に問題があるのではなく、相手が、私の話を聞く気持ちを持てないでいるからだ。相手が、私の話を聞くのを恐れているからだ」 相手が私の話を聞くのを恐れている。 相手が“恐れのエネルギー”や、心を閉ざして“拒絶のエネルギー”を発している。 それを、私の超感覚が察知するので、「私が相手に言えない」という感じになってしまうのだ。 だから、「私が言えないのではない。相手が言わせないのだ」と。 こんなふうに考えると、自分を責めないで済むだろう。 いつも自分を責めてしまう人、何でも自分のせいにしてしまう人は、これを心に刻んでおいてほしい。 とりわけ家庭の中で、自分に大きな問題がある場合、 「私が家族のお荷物になっている。私さえいなければ、家族は幸福になれるはずなのに。私が家族の足を引っ張って、迷惑をかけている」 などと自分を責めている人がいるとしたら、客観的な事実を認識してほしいものである。 あなたが問題をかかえているとしたら、それはあなたの周囲に、あなたがそうならざるを得ない状況に置かれることを(無意識に)望んでいる人がいるということを。 少なくともそれを自覚したほうが、むしろ、その問題を自分のせいにしたり、その反動で人を責めたりといった葛藤が減少する。 |
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| 読者の声・受信発信 無題その@・そのA DrTrさん |
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| 無題その@ 自分を愛することは、 「夜空をそっと眺めているのと同じだなー」 と、感じた今日この頃の私です。 無題そのA 今日は料理屋さんに行ったのですが。 僕は当然ながらそういうとこにいかないもので。 (それも、そのお店は食べ放題) そしたら、僕は自分の状況よりまず、 それをできるだけ多く食べたい…そんな感じで食べてたら気づいたんです。 「あ、そういえばおなかが…」 とてもじゃないけど腹八文目とかいってられません。 のどにまで悪夢が… 今回はなんとか大丈夫でしたが、 気づく直前に頼んだ料理は残さなくてはならないし。 申し訳ない気持ちがいっぱいと、おなかのほうも… 自分中心に生きてればそんなこともなかったのかなーと思う今日この頃の私です。(苦笑(^^; |
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| 超感覚(2) 石原加受子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| *前回の続きです。 (相手の意識や内臓や脳波を感じる超感覚的知覚は誰でももっている。) 「相手の意識や身体の状態を、私が感じる」 としたら、私自身が楽になったとき、相手はどうなるのか。当然、楽になるはずだ。これが「自分中心」と「支配関係」の違いの目安にもなった。 「自分が楽でいると相手も楽である」 あるいは、 「自分も相手も、いい結果になる(ほうへと進む)」 というのが「自分中心心理学」の理想である。 自分が楽でも、相手が苦しいのでは「自分中心」にはならない。 「自分中心」になっていると、「私と相手」がピタッと融合するように心地よい瞬間がある。言い換えれば、それは同じ意識レベルで愛を感じあっている瞬間と言ってもいいだろう。 こんなとき、「相手と私」との境界線が消える。 ところで、こんな「超感覚」で言うと、私が相手の影響を受けないで、「私自身が楽」な人がいる。まるで、その人が、そこに存在しないように、人の気配すらないほど感じない・・・。 ただし、私にとっては、非常に楽だが、相手自身は、とてもつらいはずである。どんな人だろうか? それは「感情を、固く、強く、見事に閉ざしている人」である。 本当は、そんな人たちは「自分の感情を解放すれば」、感情豊かな人たちであるに違いない。けれども、自分のその感情が、あまりにもつらく、きつかったのだろう、頑丈な鉛の箱に、自分の心を閉じ込めてしまった・・・。 閉ざしているので、エネルギーが何も伝わってこない。 見た目には、明らかに、感情を押し殺して苦汁に満ちた表情なのだが、本人は自覚していないふうである。 感情を強く、固く閉ざしている人たちは、本音と建前を使い分けるどころか、建前しか言わない。 すでに自分でも、それが建前だと気づいていない(かも知れない)。 しかし、本人は自覚していなくても、体内では、感情の嵐が渦巻いている。 文字通りそれはエネルギーだから、しかもマイナスエネルギーであるために、それを解消できないと、肉体の細胞を破壊していく。 亡くなられた元総理の橋本龍太郎さんが、多少、そんな感じを受けた。 「あなたは、何を考えているか、わからない」 こんなことを言われたことがある人は、“健康に要注意”である。 話を元にもどすと、 どうしたら、それを感じないでいるようにすることができるか。 拒否する、戦う、抵抗する、では疲れる。 受け入れる? どうやって。 それが「自分中心」にして、 「意志をもつ」 あるいは、 「選択の責任ができるほど、影響を受けない」 ということだった。 「選択の責任」は、「自分を認める」「相手を認める」という“愛の基準”ともいうべきものである。 相手がどんな選択をしていようとも、それを「認める」。相手の自由意志を心から認めるということが愛である。 相手の自由意志をどこまで認められるか。 「意志」は万物を創造するひな型となる。 相手を認めるということは、相手の無限の力を、心か信じるということである。 (もちろん自分の自由意志、責任がセットになっている。) この「選択の責任」ができればできるほど影響を受けない。 だから私は、これが「愛の基準」だと思うのだ。 Kさんから、このテーマに関してのお手紙をいただいた。その中に、 「相手の不調を引き受けて、自らの中で解き放つ方法もあるようですが、治癒を起こす為に、人の問題や症状を自らの肉体に顕現させる必要はないし、現実に何かが起きているという証拠を受けとる必要もないそうです」 と書いてあった。 これが「選択の責任」である。 無意識の世界を覗けば覗くほど、自分自身が、自分の意志でそれを引き起こしているとつくづく思う。 相手に対して言えば「相手がそれを選ぶことを心から認める」。 それは私の立場から言えば「自分を守ること」でもある。 この「選択の責任」を自覚して対処すればするほど、私自身も影響をうけにくくなるし、結果も良くなる。 そこにはヘンな同情はいらない。同情をやめ、相手の力を心から信じるとき、共時性など不思議な現象が起こり、現実が変わる。 こんな現実を創る力が我々の意識(つまり意志)である。 だから何よりも自分を基準にして、 自分を守る。 自分の願いを叶える。 自分を育てる。 自分をすべてから解放する。 そうやって自分を愛するだけでいいと、「超感覚」は教えてくれる。 |
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| ある日学校で 七十七 宮崎 久実子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
自分の子供と向き合っていますか? 現代の子供たちを理解するために、 「ゲーム感覚」「集団嫌い」「人間関係の希薄さ」「バーチャルリアリティー(架空と現実の世界の一体感)」「キレる子」などとさまざまな表現方法が挙げられています。 確かに子供だけではなく、社会そのものが変化してきていることは事実です。 私たちのように常に子供たちと関わり、教育に携わってきた人間にとって、これは見過ごせない重大な事実です。 しかし、「なぜ?」とか「何がいけないのか?」とか原因探しをしていて も仕方がないと思うのです。 学校は子供たちが活き活きとして、 学ぶ楽しみを見出す環境を提供する努力をしていかねば成らないと考えています。 御家庭でもしっかりと子供たちと向かい合っていただき、共に協力し子供たちを見守ってほしいのです。 食事を一緒にとっていますか? ケータイ電話やメールだけでなく直接会話をしていますか? 親にはツッパッて見せて、なかなか本心を言わない子でも、意外と寂しかったり、まだ子供だったりします。 ちょっとした時に一緒に過ごす時間を大切にしてください。 |
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